2012年12月04日|房国の『興味津々旅に出よう』
「歳とるほどに志 オールド・ビー・アンビシャス」
私が最近、師と仰ぎ、教えて頂いている上甲晃先生の最新著である。
この著のテーマは高齢者を「社会のお荷物」と考えるか「大切な資源」と考えるか、ということである。
お荷物と考えれば、それは邪魔な物である。
ゴミと同じで誰も面倒を見たがらないし、その処理場(例えば介護施)や経費(社会保障)のことにばかり思考を働かせることになる。
大切な資源と思えば、どう活かすかということを考えるのである。
いま東白川村ではにわかに薪作りが活気を帯びてきている。
村のケーブルテレビではお年寄りたちが集まり、ホームセンター向けの東白川産材の桧の薪をみんなで作っている様子が何度か放映された。
そして事業そのものも順調なようで、「人手が足りなくて困っています」という話も聞かれる。
集まっているお年寄りの表情は皆明るい。
お年寄りと若者を比べると、確かに体力は衰えるが、経験という点に関しては、若者は到底及ばない。
そして、人間だれしもそうであるが、自分が社会から必要とされているということが何よりも幸せなのだ。
「幸せ」ということに関して、どんな人生を思い描くかを若い人間に尋ねれば、
「使いきれないくらいのお金が欲しい」
「遊んで暮らしたい」
「働かずに世界中を旅したい」
「数えきれないくらいの女性に囲まれて生活したい」など、キリなく出てくるだろうが、
車が10台あって、家が5軒あって、毎週国々を渡り、毎日ショッピングに行って、毎夜違う女と遊んでいる・・・。
実際にやってみるとほんの数年で確実に飽きるだろうな、と思うのである。
なんだ、結局追い求めてきたそれは、幸せな人生などではなかった、と気づくのがオチだ。
生活に困らない程度の資産はあるに越したことはないが、
そんなことより、死ぬまで誰かに必要とされている方がよほど幸せなのではないだろうかと思うのである。
私も前々から自らの事業の構想の中に、林業でお年寄りを雇用していく、ということを考えていた。
効率が求められる伐採・搬出は体力のある若者に任せるとして、手入れなどさほど効率を重視しない分野ではまさにお年寄りの知恵や経験が活かせられるのではないかと思うのである。
田舎のお年寄りは、山仕事に専従していなかった人でも、木を伐ったり、草を刈ったりすることくらい、朝飯前、夕飯後でもやる事が出来るのだ。
何もそのような仕事ばかりでもない。
小さい子供を預けておける施設。
今は東白川でも「子育てママの会」というママさん達の集まりがあり、昔の保育園を利用して土曜日など預かってくれるが、年々サポートメンバーが少なくなってきている現状ではいつまで続くか分からない。
こういう時こそお年寄りの出番ではないだろうか。
経験未熟なママさんでは子育てで悩むこともあるだろう。
そんな悩みを聞いて、経験からアドバイスできるお年寄りはかけがえのない存在となる。
生活していく知恵、野菜の作り方、料理の仕方・・・核家族では自動習得できないアイデアがどれだけでもある。
「お年寄りは資源」と考えるとどんどん夢は膨らむ一方だ。
日本は世界で最先端の高齢国である。
そして東白川村はその平均値をさらに上回る高齢地域である。
それは止めようもない事であるが、何もそこに暗いイメージを持つ必要はない。
徳島の上勝町のように、お年寄りが元気になり過ぎて、ついに無人になった老人ホームを閉鎖した例もある。
出発点の発想を変えるだけで、力を入れるポイントが全然変わってくるのだ。
山共も若い人たちが増えてきた。
地域の雇用を増やし、活気のある会社を目指してきた私にとっては誠に嬉しい限りではあるが、
同時に今後はお年寄りが活躍できるようにするためにはどうすべきかを考えていきたいと思っている。