2011年05月05日|山共の『地域の林業・製材加工!』
GW、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
僕は4日、祖父と東白川村内の山(捨薙山)の社有林に登りました。
ここは字は「奥平」と言いますが、江戸時代、この土地を中心に集落間に所有権、草刈権の争いが起き、やがて「境谷処刑事件」につながっていった場所。
そのためこの土地は特に「論ショウ」と呼ばれています。
境谷処刑事件の詳細はこちら
そのような歴史的背景を持ち、色々な人の手に渡り、現在山共が取得するに至りました。
そのため祖父にも特別の想いがあるのかもしれません。
果たしてこんなにも力強く山を登っていく88歳がいるだろうか?
林道に車を置き、尾根づたいに登っていきます。
腰には鉈と手鋸を差しておきます。
木に巻きついた弦などを見つけた時は切っていきます。
侍の刀の様なものかな?
履物はスパイク付の足袋か、長靴。
スパイクなしでは山は到底登れません。
それにしても、かなりな急勾配。
両手を使わないと登れない所も多々あります。
10分も歩くと、僕でさえ息が切れてきました。
しかし祖父はゆっくりではありますが、休まず登り続けます。
40度近くある勾配。
スパイク付の靴でないと登るのは不可能です。
「もうここを登るのは最後かも知れんでな」
山に入る前に祖父が僕に言った言葉。
今でも現役山師である祖父は健康そのものではありますが、それでももう88歳。
普通ならこんな山を登れるわけはありません。
だいぶ歳取ったけどねぇ。
祖父の歩き方は、まず杖を出し、そして右、左と歩を進める、その繰り返し。
つまり イチ、ニィ、サン。イチ、ニィ、サン・・・と歩いていきます。
これはある意味、山歩きのお手本かもしれません。
ゆっくり観光気分で登るものでもありませんし、逸る気持ちそのままに歩いても息が上がるだけ。
同じスピードで一歩一歩進んでいく。
それはもしかして祖父の生き方そのものだったかもしれませんし、林業というスパンの長い仕事に必要な心持も含んでいるのかもしれないな、と思いました。
杉と桧の混合林。
手入れもされています。
途中2回ほど休憩を取りながら、1時間半ほどかけ隣町境の稜線に到着。
ここで持ってきたオニギリを二人で食べました。
具は梅干し。
シンプルが一番うまいっ!
う~ん、うまいっ!
こういうシチュエーションで食べるオニギリって本当に美味しいですね。
木の事、施業の事、会社の事。
下る時は話をする余裕も出来ました。
今年のGWも多くの人出でにぎわった各観光地やイベント。
僕のGWは、僕ら以外人っ子ひとりいない山を、たまに聞こえてくる鳥の声と、風に吹かれながら登る
という色気のないものではありましたが、
祖父の人生最後の「論ショウ」登山の同行、できてよかったです。
良質な杉が育っていました。