東濃材の
歴史
東濃すぎ・ひのき
TONOZAI HISTORY
東濃材の歴史
古くから森と共に育まれた日本人の歴史。
日本史の教科書に登場するような城郭の造成、政治の流れは、
各地の森林の姿にも、確かに刻まれています。
そして、裏木曽山系の山に囲まれた東濃地方では、
古くからの木材産地としての歴史を育んできました。
岐阜県の森林は、かつて戦国時代には幕府の直轄領でありました。
しかし戦国時代が終わり、戦火を受けた家屋等々の修復を目的に、
江戸時代初期には、各地の山々が伐りつくされて、禿山となってしまいました。
木曽地方においても同様に山林資源の枯渇が懸念され、
その頃その森林を管理する尾張藩では、1624年(寛永元年)に
留山制度が交付されました。
この留山制度によって、無許可で木曽の木々を伐採することは、重罪に課せられたのです。
その重罰は、「木一本、首一つ」と呼ばれるほど。
禁伐の対象となった樹種は、アスナロ、サワラ、ヒノキ、ネズコ、コウヤマキの5つの樹種。
こうして、地域を代表する5つの樹々の資源と、木を活かす文化が育まれてきました。
私たち山共が仕入れを行う東濃においても、
木曽地方における文化の流れを受けて、
木材産地としての歴史が刻まれ、豊かな森林が継承されています。